介護保険制度は、少子高齢化、核家族化、過疎化などの社会変動に対して、これまでの老人福祉制度、老人保健制度では対応が困難であり、「社会全体で高齢者を支える仕組みが必要である」という、表向きの目的が定められました。
国は、老人福祉制度の措置という仕組みでは、制度対象者の利用が行政によって恣意的に行われていると批判しました。さらに、世帯単位の原則と応能負担の仕組みにより、老人福祉施設への入所者と同一世帯と見なされた家族の負担が、医療施設への入院患者よりも負担が多いと断定されました。その上で、老人福祉制度は措置から契約へ、応能負担から応益負担へと、利用者本位の制度利用が可能となる介護保険制度への転換が必要であると表向きの理由に加えられました。
現在でも老人医療費は社会保障費の中で大きな国の負担となっており、老人医療費の削減をいかに行うかということは、介護保険制度が成立した当時も大きな問題となっていました。国としては、社会的入院による老人医療費の削減を目指すことが課題となっており、老人福祉制度の介護保険制度への転換と同時に、老人医療費の削減のために、老人病院を療養型医療施設という介護保険施設への転換を目論んでいました。
ちょうどその頃に、老人病院への社会的入院が社会的に問題視されるようになり、介護保険制度の創設により老人病院の療養型医療施設への転換を進めてゆく事が、社会的入院の解消への取り組みになると表向きでは見られるようになりました。そのために、老人医療費の削減という本来の目論見は影に隠れるだけでなく、介護保険制度が実施されても老人病院の療養型医療施設への転換は進まず、医療療養型病床として残ることになり社会的入院の入院患者や家族の過重な入院費用の負担は、介護保険制度が実施されても解消とはなりませんでした。
介護保険制度の一番の目的は、国の構造改革と共に、老人医療費の削減であったと言えます。老人福祉制度の介護保険制度への転換についての理由付けは、他の老人関係制度を取り込むための方便に過ぎないと考えられます。社会保障制度については、老人福祉制度の介護保険制度への転換ということで、構造改革は一部達成したものの、老人医療費ばかりか介護保険制度の運営費用も増大するばかりであります。
介護保険制度がはじまって14年も経つというのに、いつまで経っても「社会全体で高齢者を支える仕組み」が出来上がることはなく、介護保険被保険者の負担は増え、高齢者が安心・安全な生活を過ごす事は夢のまた夢となるばかりであります。